historia de RODA vol.5

かくして松村が入社した。時は2009年10月。

LUZクルーもRODAの中二階を事務所として、LUZとRODAの在庫も中二階にギシギシに詰まってた当時。
FOOTARTのJUN君風に言えば、【夢もギシギシに詰まっていた】事は間違いない!

しかし、当時は結構厳しい状況で、もはや前の会社から独立しようと話したりもしていて、、、
正に横浜にある日本政策金融公庫に開業資金の相談に行った次の日。運命の出来事が。

現社長の 小石原 靖 が『話がある』と言って、僕とミチオ、ソーシをスタバに呼び出したのだ。

『私がRODAとLUZを買い取るから付いてきてくれ。』

この話しが無かったら今頃僕らは路頭に迷っていたのかもしれない。そう思えるほど、有難い言葉だった。
自分たちの将来性に掛けてくれる人がいる。本当に嬉しかった。

2009年11月4日 株式会社 EN の誕生だ。

ENはエンと読む。LUZ(光)の源である太陽の円。RODAを表す輪の円。そして何より【ご縁】の縁だ。

新体制になったRODAは更にパワーを増していく。

新メンバーに

鈴木夫妻(現EC制作部)

三浦直人(EC MG)

栗田(現EC/システム物流)

池田 (現LUZ生産)

が加入。得意なEC部門をより強化していく。

あの狭い中二階にぎちぎちになりながらも楽しくも充実した毎日を送っていたある日。

社長からこんな一言。

『そろそろ実店舗2店舗目を考えないか?』

そりゃー嬉しいです。是非探しましょう!と物件を探すことに。

そして探し始めてあくる日。良い物件がある!

という事で、横浜駅西口から徒歩10分くらい、平沼体育館に行く間にある物件を見に行ってきた。地下に在庫を置けるスペースもあるし、、、良いですねーー!と
テンション上げて店に戻ると1本の電話が、、、

『チッタ・エンタテインメントと申しますが、新規店舗出店のご意向はございますか?』

ビクーーーーンッ!!!

まるで見透かされたようなタイミングでかかってきた電話。
新規出店の意向があるもないも、今物件観に行ってたところですわ。

という事で早速、チッタのご担当者と打ち合わせる事に。。。。
聞いてみると、なんとフットサル場を作るとの事!!!それヤバいですね!?
当然、最有力候補に。

出店予定の場所は実は今の店舗の場所じゃなくて、スロット屋さんが入っている館のほうだった。そこは少し嫌だった。窓が無くてどこか開放的じゃなかったのだ。
どうせならフットサル場予定地の隣がいい。

出店するなら真隣じゃないと厳しい。という交渉の結果、OKが出た。
かくして、RODA川崎店出店が決まった。

約1年前にスタートしたプロジェクト。
本格的に開店準備を始めたのは2011年年明けごろだろう。

さぁ、本格的な新規出店準備だ。

何より先ずは【働く人】だろう。。。

そんなタイミングで昔、一緒に働いていた男から1本の電話が、、、

初代シューズマスターこと 鈴木 だ。

『飲み行かない?』

という事で渋谷に飲みに行ったのだが、鈴木から『RODAで働きたい。』と。

ビクーーーーンッ!!!

『お前なんか知ってるのか???実は新しい店を出すんだよね。。。』

この神的タイミングもあり、この時点で恐らく日本で一番フットサルシューズを売ってきた男の加入は
鬼に金棒だった。鈴木に金棒と言ってもいい。

そしてもう一人、牧野さん 前職を退職したとの事で速攻口説きに言った。一度は断られたが、次は社長にも池袋まで来てもらって何とか口説き落とした。

このタイミングで

斎藤 akaまもー (現EC受注担当) も招き入れ

初めてRODAとして求人も出した。

そこに来たのが

渥美(現EC受注担当)

泰子(現DOMINGO DOFFEE 10)

だ。

そして 2011年12月10日 RODA川崎店はOPENした。

最強の布陣での開店。

フットサル場とCAFEがある最高の空間。
当時間違いなく日本でも屈指のフットサルパラダイスだった事は間違いない。

12月のOPENは大盛り上がりだった。

この写真が川崎店内装のイメージになったBRASILの安宿。world tripper Kozyが実際に泊まった宿だ。

実は川崎店求人募集でもう一人の男を採用している。

新潟からスーツを着て面接に来たあの男だ。
スポーツ専門学校を卒業後に合流することになった。
そして、2012年3月にその男が入社する。。。。

続く。

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