RODA15th Special BLOG -Futuro de RODA- Vol.12

SMILE de FUTSAL vol,3

フットサルを愛する皆様、こんにちは。RODAの鶴見です。

スマサルの続きと言えば続き。だけど今回は先日開催されたU25スマサルのお話しです。

自分は今41歳。今回そのU25スマサルを開催した小県が24歳。一回り以上違う青年が自身の世代に向けて新たなチャレンジをしてくれました。若者の若者による若者のためのフットサル。

「同じ楽しみを分かち合う若者同士が集まれば相乗効果が生れる」

という過去の経験を知っている私は、小県が開催したこの集まりから無限の可能性を感じています。何故なら、LUZeSOMBRAこそそんな若者の集まりから出来たものだからです。

2003年。サッカーW杯日韓共催大会の翌年、ボールが蹴りたくてたまらなかった僕らを迎え入れてくれたのがフットサルでした。当時、高校で遊びに走りサッカー部を途中で辞めた僕等にとって、世の中のメインスポーツになりつつあるサッカー人気の影響でもう一度蹴るという事は自然な衝動だったんです。

中学生のころからスケボーが流行ればスケボーをやり、スノーボードをやり、サーフィンをやり、ダンスも踊る。全てそこそこに出来るようになるくらい好きでしたが、最終的に落ち着いたのはやはりガキの頃から蹴っている玉蹴りでした。

横浜市緑区(中学2年まで現青葉区も都筑区も緑区だった)で育った僕らのフットサルでのホームコートはフットサルクラブ横浜。日本で3番目に出来たフットサルコートで【個サル】発祥の地でもあります。

そこで毎日のように同世代の個サラー達と共に個サルに明け暮れていました。フットサルへの探求心は更に更に深まり、最終的に行きついたのは、当時神奈川最強にして全日本王者にもなったことのあるチームP.S.T.C. LONDRINAに所属する地元横浜の豊島明が、港北区小机に当時オープンしたフットサル場「フットサルクラブ東京横浜国際コート」にて開催していたクリニック。豊島クリニックでした。

21-23時で豊島クリニックが開催されるのだが、むしろ本番はその後から始まるゲーム会。夜な夜な集まってくる奴らでチーム分けをして、ひたすらマッチメイク。3面あるコートをJ1,J2,J3 に分けて最終的に終わった時にJ1コートに残った奴らが一番強いという単純明快なゲーム会を夜中の3時くらいまで延々と蹴ってました。そこの仲間から誕生したのがLUZeSOMBRA。

今のLUZeSOMBRAの勢いたるや説明するまでもないでしょう。そんなLUZの始まりもこんな若者達の集まりから自然発生的に生まれたものです。

スケーターはその昔、今みたいに綺麗なスケートパークなんてなく、滑るところはそこらへんの道端や駐車場をSPOTにしていて、調子良いSPOTにだんだん人が集まり、そこに噂を聞きつけて様々なスケーターが集まるSPOTになる。当時の小机にはそんなストリート要素が凄くあったんだと思います。『あそこが一番ヤバい奴が集まってる楽しい場所』っていう噂が流れ、色々なフットサル猛者が集まってきていた。そんな奴らのシナジーから生まれるものもあるんです。

RODAが誕生したのが15年前、鶴見25歳の時。

LUZが誕生したのが16年前、24歳の時。

この若者達の見据えた先に、更に楽しい世界が広がるのを楽しみにせずにはいられない。41のオッサンを嫉妬させるくらいのコアなイベントにしていってほしいと願う。

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