RODA15th Special BLOG -Futuro de RODA- Vol.2

RODA初の別注アイテム

フットサルを愛する皆様、こんにちは。RODAの鶴見です。

早くも2回目のブログ更新です。今回はLUZeSOMBRAとの別注物語。

15周年を迎えるRODA。節目節目で、様々な別注アイテムを作成してきましたがやはり、ここぞ!と言う時の気合いが入る別注はLUZしかないです。

Historia de RODAでもお伝えした通り、RODAとLUZは切っても切り離せない兄弟のような間柄でここまで来ました。RODAがOPENした時、川崎にお店を出した時、新横浜の現在の店舗に移転したとき、RODA SHOES BARがOPENしたとき。。。

様々な別注アイテムを出しましたが、やはり1番思い入れがある別注アイテムはこれです。

RODAが生れた事を記念した初めての別注Tシャツ!

実はRODAのロゴはLUZeSOMBRA創始者である2人のうち、当時デザイナーを務めていたSOHSHIに作ってもらったもの。『蹴る·着る·遊ぶ』を表す3片のロゴはスクリュー状で【RODA=輪】を増幅するようなドンドン広げていくイメージ。先ずはRODAが15年間使い続けてきたロゴを作ってもらい、、、次に作ってもらったのがこの別注Tシャツ。

2/24のRODA OPENに間に合わせるために当時の彼らのアトリエ、(彼らの友人たちが住んでいた家の離れ部分)通称ジェロニモハウスでSOHSHIと2人で夜中まであーでもないこーでもないと作成されたのがこの別注アイテム。

背中のロゴはRODAとLUZでこのフットサルの輪をドンドン広げようという意味合い。1色30枚だったか、2色で30枚だったか、、、今でこそ何百枚作成しているが当時はこの無名ブランドとのコラボを30枚売るというハードルがどれだけ大きかった事か、、、

当時の売り場の写真をよーく見ると、、、別注にも関わらず一番左下に置かれている。。。これは【凄く売れて在庫が無いからもうここでいいや。】 なのか 【目立たつところに置いたけど、、、全然売れねー!】っていう感じだったのか、、、もう忘れてしまいました。

しかし、僕は「友人達が始めたこの無名のブランドLUZeSOMBRAがいつの日か、日の目を浴びてフットサル界でも1,2を争うブランドになるはずだと。必死に普及活動を務めていたことは間違いありません。当時は川崎フロンターレのオフィシャルショップの中にあり、僕自身フロンターレの仕事7割 RODAの仕事3割で店頭に立っていたんです。フロンターレ目当てのお客様がほとんどのなかで、RODA商品を目当てに来てくれたお客様には必死にLUZブランドを伝えていました。

川崎フロンターレを応援するの川崎華族さんとgol.を橋渡しした別注アイテムを作ったりもしました。これはgol.で初めて作った別注でした。

そうすると、、、1人、2人とLUZに共感してくれる人々がお店に来てくれるんです。LUZ創始者の2人と一緒にLUZ立ち上げを支えた、当時神奈川最強チームP.S.T.C LONDORINA所属の豊島 明が関わるブランドとして、、、豊島ファンが先ずは買いに来てくれました。2人居たんですが今でも親交がある大事な大事なお2人です。

横浜出身の豊島明。彼が小机で開催していたクリニックからLUZが生まれた。

そして忘れられないのは茨城県からのお2人。こちらは当時出店していた楽天市場店で毎月のようにLUZをお買い上げいただいてくれるお2人。この人またLUZ買ってくれた!と1日1件の注文が入るかどうかの時期、、、LUZを買ってくれることが本当に嬉しかったです。そしてこのお2人はお店にも遊びに来てくれて、、、茨城県から2時間。本当に嬉しいし感謝しかありませんね。。。こちらのお2人もそこから10年後に一緒にイベントを開催したり、今でもまだ親交がある間柄です。

初めての別注がコットンのTシャツだったっていうのも面白いですね。この売り場に出ている商品、ほとんどがコットンTシャツです。当時はコットンTシャツでフットサルをやる事が当たり前というかスタンダードだったのでこんな感じだったんですね。なぜ汗も吸わないコットンTシャツで蹴っていたのか?それはプラシャツにカッコイイデザインが無いから。僕らは機能性よりもデザイン性のほうを重視していた世代だったんです。

誰も着ていないカッコイイSTYLE。それが当時の絶対。

このコットンのTシャツからRODAとLUZが始まりました。恐らく一生忘れる事のない墓まで持って行くTシャツです。

ここから先のLUZの快進撃はもはや言う必要もないですね。これがRODA幕開けの第一歩です。

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